お墓と閏年にまつわる言伝え(迷信)について

お客さまから、「閏年にお墓を建てたらいけないのでしょうか?」とよく聞かされます。
「どなたから、そのような事を聞いたのですか?」と聞くと、「ご近所の方、またはご親戚の方から聞きました。」とのことで 「その意味を聞きましたか?」と聞くと、その意味をすべてのお客さまがご存知ありません。
では、その言伝え(迷信)は どのようにして伝えられてきたのでしょうか?

わが国では明治の7年まで、月の動きを暦の基準とした太陰暦(旧暦)が使用されていました。
当時の閏年は現在の366日計算ではなく、何年かに一度平常の年よりも1ヶ月多い13ヶ月間としたため、節約の習慣が生れました。
江戸時代の武士などの給金はほとんど年額で支払われていましたから、閏年は同じ年額給金で一ヵ月間多く生活しなければなりませんでした。
このため、藩主は家臣に余分な出費を極力おさえるようにさせたと言われています。
下記でご説明致しますが、仏壇を新調することを見合わせるようにと禁止令を出した大名もあったようです。
この制約は、やがて本来の意味が忘れられ、形式だけが残されて「閏年に墓や仏壇を新調すると悪いことが起こる」などと、本来の意味を無くして伝えられてきました。
この言伝えの発祥は九州地方から出た言伝えと言われ、昔、九州のある藩主が、「閏年には仏壇の購入を禁止する」という布令を出したことから始まりました。
旧暦による閏年では、現在の1日ではなく一年は13ヶ月(平年の12ヶ月プラス閏月の1ヶ月)となっていましたから、どうしても節約をせまられていたのです。
閏年には仏壇の購入をするなという布令は、藩主が家臣たちの生活の苦しさをやわらげるために出した「苦肉の策」だったそうです。

これが今に伝わって、うるう年(閏年)には法事をしてはいけないとか、仏壇は買うべきでないとか、墓石は建てない、などとする言伝え(迷信)と変わってきたというわけです。
新暦を採用している現在では、全く意味の無い事になってしまっています。
本年(平成20年、西暦2008年)は、新暦のうるう年(閏年)です。
周知のとおり新暦の閏年では、2月が1日だけ増えるだけですし、上記のような理由からも、『うるう年(閏年)には法事をしてはいけないとか、仏壇は買うべきでないとか、墓石は建てない、などとする言伝えは誤り』だということが理解されるかと思います。

迷信とされることも、その由来をたどりますと、なかなか面白い話がありますが、現代の私たちの生活とは関係のないものが多々あることもわかります。
(参考事例として『仏事の基礎知識』藤井正雄著 講談社に記載されています)

また、違う言伝え(迷信)では、昔の埋葬の仕方としては、みんな土葬でした。土葬した上に、お墓を基礎工事なしで建てていました。
閏年の1年が13ヶ月と長かった昔では、台風や太陽の日食・天変地異が通常の年(1年12ヶ月)より多かったようです。
ですから、せっかくお墓を建てても、傾いたりする件数が多かったのでしょう。
通常の年より、1ヶ月長かった訳ですから、苦楽すべてが多かったはずです。
その閏年を恐れていたなごりで、人の心には異変と取られ、一部の地方によっては言伝え(迷信)として残っていたようです。
しかしその当時の閏年でも、埋葬し碑を建てていたのですから、閏年は全く建墓に関係ありません。

また、お墓にまつわる言伝え(迷信)で、京都の北部地域に行くと、西向きにお墓を建てると、後家さんになるという迷信があります。
また、頻繁にお墓参りに行くと、すぐに息絶えるということも耳にしたことがあります。

これらも全く意味はないのですが、全国の石材店では、こうした変わった迷信のある地方の方に親戚がおり、墓石建立の話に関わってきますと、せっかくのお客様の大事な想いが混乱されておられるのをよく聞きます。
ですから、本来の意味を知ってほしいのです。
閏年を上記のような言伝え(迷信)で避ける地域もあれば、閏年が1番仏具やお墓が売れる地域も多々存在します。
それは、うるう年(閏年)をうるおう年(潤う年)と考えられ、苦楽の「苦」を迷信として残す地域とは異なり、「楽」を言伝えとして残している地域です。
実際に1ヶ月長かった訳ですから、「楽」も通常の年より多かったのです。

お墓とは、亡くなった大事な方々に気持ちを伝える場所であり、自分自身へのためにも存在します。
閏年に拘られる方々もしっかりした理由を持っていれば良いのですが、上記のような本来の意味も無くした理由であれば、そのようなことに囚われず「供養」と言う大事な気持ちを優先してあげてください。

カイザワ