人はなぜお墓を作るのでしょうか?
最近はこの部分が忘れ去られているような気がします。この部分がなければお墓を作る意味もないことになります。なんとなく作る、作らなければならないみたいだから作るのでは意味がありません。
私の考えるお墓を作る意味は、

  • ● ご先祖様を供養する
  • ● 自分にとって大切な人に語りかける
  • ● 家族が集える場所

というところがあると思います。

まず「ご先祖様を供養する」ということについて考えてみます。

ネアンデルタール原人が死者に対して花を手向けていたことが分かっています。人類と動物を区別するものとしては、「死者を弔う」ことだと思います。また、自分が存在するのは両親、おじいさん、おばあさん、ご先祖様のおかげです。この世に生を受けたことに感謝するとともに、生み育ててくれた両親、おじいさん、おばあさんに感謝しなければなりません。そんな人たちを弔うために供養をします。宗教が何であれこの気持ちは万国共通だと思います。それができる場所がお墓ということになります。

また、「自分にとって大切な人に語りかける」について考えてみます。

古事記において、イザナギはイザナミを生き返らせるために黄泉の国に行ったが、後ろを振り返ってしまったためにイザナミが恐ろしい姿となって追いかけてきました。その時に黄泉の国への穴を塞ぐために使った岩を「千引岩」と言います。この石が死者の国と生者の国の境界となり、お墓の原点とも言われます。黄泉の国にいる大切な人に語りかけるものとしての石の謂れがここにあります。お骨が収納され、あの世にいる方とお話ができる場所としてお墓が古来よりあるのです。また、石でなければならない理由もここにあります。この故事にならうこともありますが、地球からの贈り物であり、自然のものである石だからこそ、あの世にいる大切な人に語りかける場所としてふさわしいのです。

また、語りかけられるからこそ大切な人がいなくなった心の傷を癒せる唯一の場所にもなると思います。

最後に「家族が集える場所」について考えます。

現代社会では家族といえども各々が忙しくしているので、すれ違いがちです。しかし、お墓参りに行くときには家族で行くことが多くあります。家族でお墓参りをし、亡くなった方の話をして憩うことも供養になります。お墓の前でいつもは話せないことも話すようにしましょう。

また、核家族化が進んだ現在、家族や親せきと会える機会は限られます。お年忌の時やお彼岸、お盆などお墓参りの時には、普段疎遠になっている親せきとも会う機会があると思います。そのような機会を作ってくれる場としてのお墓でもあります。

これだけの意味を持つお墓ですので、絶対に必要であり、廃れさせてはいけないと思います。私ども佐野石材としても、そんな大切なお墓を一緒に作り、一緒に守らせていただけることに誇りを持っています。

記:佐野雅基